夷陵の戦い④ (その後)



この夷陵の戦い以降、蜀と呉は一切争いません。


それは、諸葛亮と孫権、陸遜が互いに本当の敵が誰なのかをわかっていたからです。


諸葛亮 対 陸遜 も見たい気もするのですが、この2人は、戦いません。


夷陵の戦い以後、蜀と呉はすぐに同盟となります。


むしろ、この夷陵の戦い以降は魏との戦いが互いに多くなります。


蜀と魏が戦っているときは、呉は蜀を攻めませんし、魏を攻めにいきます。


181年、諸葛亮、182年、孫権、183年、陸遜が生まれているので年も近く、お互いに通じ合うところがあったのかなと思います。
また、諸葛亮の兄、諸葛瑾は孫権、陸遜からも絶大な信頼を得ています。


夷陵の戦い以降、228年に魏の曹休が呉を攻めに来ます。(石亭の戦い)
これは陸遜が曹休に勝ちます。


これくらいで、呉は非常に地味すぎて、蜀が滅亡した後に、陸遜の次男、陸抗が出てくるまでは、空気みたいになります。


そして、いよいよ、奴が動きます。


魏の司馬懿です。


諸葛亮 対 司馬懿


最強最恐


まあ、やっかいな人物です。


まあそれは後に置いといて


蜀が崩れたのは、龐統の死だと皆さんわかりますか?


これもあとに置いといて


219年から223年の間に蜀の一軍メンバーいなくなりすぎ💦


劉備、関羽、張飛、馬超、黄忠、関平、周倉、法生、劉封、孟達、黄権、馬良、糜ぼう、など
諸葛亮大変ですね・・・・


馬超と張飛は夷陵の戦いに参戦して欲しかったのですが、張飛討死してたかもしれないですよね・・・





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夷陵の戦い③(決着)


呉軍の追撃は激しく、劉備を激しく追い立てます。


「劉備を生け捕れー」


劉備は夷陵、秭帰城(しきじょう)、巫城(ふじょう)を捨て、白帝城にこもります。


呉の追撃が激しく、白帝城まで迫っていました。


そこに救世主が現れます。


それは・・・


蜀の五虎大将軍の1人、趙雲です。


やはり、頼もしいです。


趙雲の働きにより、呉は追撃をあきらめます。


また、陸遜としても本気出せば劉備を生け捕れた可能性は高かったのかもしれませんが、あくまで魏に対抗するために生かしておかないと、後々、蜀が魏にやられてしまうことをよく理解していました。これ以上の追撃は無意味で、魏に備えることが大事だとわかっていました。呉は形式上は魏の臣下的な立ち位置をとっており、援軍として、曹丕が呉に兵を向かわせていましたが陸遜はこの魏の援軍は援軍ではなく呉を討伐するための軍であると見抜いていました。漁夫の利を得ようとする魂胆が見え見えでした。


「蜀の脅威は去ったから次は魏に備える必要がある!」


呉の将軍達は劉備を生け捕りたくてしかたなかったのですが、結果を出した、陸遜に従います。
さらに、白帝城に、呉から使者として諸葛瑾が来て、劉備に「蜀と呉が再び和睦しないと両方魏に滅ぼされ、曹丕が天下を取ってしまします。」と説きます。


かくして、劉備は完敗を受け入れ、呉と和睦します。


仇を打てず、また、大敗のショックと、関羽、張飛が迎えに来たため、諸葛亮に後を託し、亡くなります。223年のことでした。


関羽、劉備を破った陸遜の名は天下に知られることになります。
まさに「蜀キラー」でした。





夷陵の戦い②(劉備 対 陸遜)


夷陵の戦い


この戦いは、荊州奪還関羽の仇討ちを目的として、劉備が呉に向けて、東征した戦いです。


劉備は黄巾の乱に始まり数々の修羅場をくぐり抜け、さらにむしろ売りから、皇帝となり、さらに、数々の戦を経験してきた歴戦の勇将、まさしく最強の人物でありました。実力がないとこの乱世においてここまで生き残れません。普段優しい人や穏やかな人ほど、切れると怖いとはよく言うものです。桃園の誓いで死ぬ時は一緒だと誓った劉備は命を掛けて、呉を攻めに行きます。



それを迎え撃った陸遜はやはり、イケメンと言わざるをえません。陸遜は劉備がかなり手強いことをよく理解していました。だからこそ、必ず勝たなければなりませんでした。


赤壁の戦いと言えば周瑜、夷陵の戦いと言えば陸遜です。呉は守りが非常に強いですよね。


劉備は呉の巫城(ふじょう)と秭帰城(しきじょう)を攻略して、さらに夷陵を制圧し、孫桓が守る夷道を包囲します。
この劉備の怒涛の勢いに呉はかなり焦ります。陸遜は孫桓なら耐えられると思い、援軍を出しませんでした。
そのため、ほかの呉の武将や文官から、「陸遜は頭がおかしい、このままでは呉は滅んでしまう」という声が上がります。
孫権に上奏して、「陸遜を大都督からはずしてもらおう」、という声も多数あがります。


さらに劉備は孫桓を攻めている間、馬良を武陵に派遣して、異民族の王、沙摩柯を呼応させ、呉に対する脅威とします。
この沙摩柯は三国志演義で、呉の甘寧を討取る働きを見せます。史実では、甘寧を討つようなことはしていませんが、それほどの強者だったのでは?と推測できます。夷道の先には陸遜がいる江陵があります。江陵が落とされたら、孫権がいる建業まで、攻めやすくなります。だから、陸遜としては、呉の命運がかかる場所として、必ず守らなければなりません。もちろん控える武将たちも、呉の一軍メンバーです。劉備軍はは孫桓の必死の抵抗により、夷陵から、中々侵攻できず、時間だけが流れ、疫病が流行り、士気も低下していきます。夷陵まで侵攻していたため、退却が難しい状態でもありました。陸遜は多数築いていた陣地をわざと劉備に奪わせ、呉の領土深くまでおびき寄せます。
夏になり、空気が乾燥し、劉備軍の周りを見渡すと、木が生い茂っていました。陸遜は気がつきます。



これは・・・・火しかない!



火計を思いつきます。


陸遜の火攻めにより、劉備軍は壊滅状態になります。退却が難しく、劉備はなんとか逃げ切れたのですが、
馬良馮習張南王甫傅とう沙摩柯らは討死、黄権龐林らは蜀への退路は断たれていたため、呉に下るのもはらわたが煮えくりかえりるため、仕方なく魏に逃亡します。呉軍の追撃は激しく、劉備を激しく追い立てます。



劉備、絶体絶命。




夷陵の戦い① (蜀の参加メンバー)

夷陵の戦い参加メンバー


劉備軍は、


黄権馬良呉班張南傅とう馮習(ふうしゅう)、龐林廖化王甫などで挑みました。


あまり、聞き慣れないメンバーですよね。


張飛は夷陵の戦い直前に、暗殺されています。


黄忠は三国志演義では夷陵で討死しますが、史実では、夷陵前の220年に亡くなっています。


馬超は病が重く出陣していません。(馬超は222年に死亡)


魏延は漢中を守備しています。(魏への備え)


趙雲は江州に駐屯しています。(直接に、参加はしていない。)


諸葛亮は成都の留守を任されます。


法正も220年に亡くなっています。


よって実際に、参加したメンツは2軍クラスのあまり有名どころでないのがわかります。


馬良と黄権は個人的に有名だと思います。


馬良はあの馬謖の兄です。


龐林はあの龐統の弟です。



三国志に興味がある方!!!

三国志を一から読み始めたい方にお勧めの一冊がございます。


それは・・・・


「  三国志 (ポプラ社  三田村信行) 」
です!!


全部で1巻~5巻 まであり、
小中学生向けに書かれているため、とても読みやすく、また理解がしやすい一冊となっております。
年代性別関係なく誰にでもおすすめできます。


私自身、過去にこの本を何回も読み返し、三国志にはまってしまいした。
劉備、関羽、張飛を中心に物語が進んでいくため、読んでいくと確実に「蜀ファン」 になってしまうでしょう。


私も当初は蜀が好きでした。(現在は呉が好き)


これから三国志を読み始めたい方や三国志の流れを理解したい方にとてもおすすめです!
陳寿が書いた三国志演義がベースとなっていますが、ほとんど史実に合致していますので、
どんどん読み進めていけると思います。


子供に伝記を読ませたいのに読んでくれない子供におすすめでもあります。
まずは三国志から入ろう!歴史にふれよう!


三国志は登場人物が豊富なため、色々な人物と触れ合いながら、知らないうちにその世界に引き込まれているところが醍醐味です!!


三国志の時代はちょうど日本の邪馬台国の時代にあたります。
239年に卑弥呼が魏に使いを送っていて、
そこでやり取りしたのがあの司馬懿ではないかともいわれています。(239年時の魏の皇帝は曹丕の子の曹叡でした。)


みなさんも、ぜひ三国志の時代にタイムスリップしましょう!!!